日本に住むことに嫌気がさして海外に移住する人も相談に乗っている限りでは一定数いるわけで、どこか別の国に憧れているからとか、なにかを学びたいからとか、そういった理由よりも、むしろ日本へのネガティブな感情の反動として、ほかの国に引っ越したいと語る人達も少なからず存在している。
こういった逃げの海外移住を非難する人もいるが、個人的には住む場所なんて自由に選べばいいし、時には逃げることも重要。
いじめられていて精神的に追い込まれるぐらいだったら学校に行くのをやめるとか、転校するという選択肢があってもいいし、住んでいる街が合わないのであれば引っ越せばいい。
逃げたところで結局はなにも解決しないという人もいるが、いったん逃げてみれば、自分自身に問題があったのか、それともただ単に環境との相性だったのか、といった分析もできるので、頭ごなしに可能性まで否定する必要はない。
ただし、ポジティブな理由であれ、ネガティブな理由であれ、わざわざ特定の国に永住する選択を不用意に下すのは、今後の居住の自由を奪うものとして、あまり歓迎されるべきではないと思う。
私もこれまでフィリピンで永住権を取ったり、マレーシアでリタイアメントビザを取ったりしたこともあって、その国に永住するのではないかという憶測をされることもあったし、そういった質問も何度か受けてきた。
永住する必然性はあるのか?
しかしながら、フィリピンにしろマレーシアにしろ、あるいは日本にしろ、私にはどこかの国に永住しなければいけない理由が何一つみつからない。例えば、国際結婚をして奥さんの国に住みたいのであれば、長期間安定してそこで暮らそうとすることも理解できる。
しかしながら、その場合であっても、必ずしも永住する必要はない。
奥さんのほうが先に亡くなるかもしれないし、その国の状態がこれからも安定しているとは限らない。
例えば著しく経済が傾いたり、治安が悪くなったりすれば、当然のこととして他の国に移住することも考えられるはず。
しかし、永住するということはもう動かないと決めてしまったことになるので、わざわざ自分を特定の国の地面の上に縛り付けていることにほかならず、あえて固定化するメリットを見出すことができない。
居住地選びで大切な感覚
住む場所を決める場合は、とりあえずという感覚が重要だと思っていて、それは仮に戸建てを買うような場合であっても同じ。とりあえずの感覚があるのであれば、むやみに持ち家を持って、自分の生活環境が所有によってがんじがらめにされるリスクを小さく抑えることができる。
ほかに住みたい場所ができたら、持ち家を売却するなり、あるいは賃貸に出して、そこから家賃収入を得るなり、今であればAirbnbのような制度を利用するなり、いろいろと考えられる。
しかし、永住しようということで思考を止めてしまえば、そこから先の発展は全て失われる。
覚悟の表れとして永住という言葉を使うのは理解できるが、あまり共感はできない。
いかにして流動性を高めるかは、リスク管理のうえでも重要なことで、世界のスピードがどんどん早くなっている現代においては、ひとつの見通しや予測に依存するのはご法度ともいえる。
その禁を破ってまでわざわざ一ヶ所に住み続けるという選択に意味があるのか、海外居住の身としては甚だ疑問なところ。
どこにでも住めるという感覚や、いつでも移住できるという切り札を持ちながら、その時々でベストと思える国に滞在するのが、リスク管理のうえでも生活の満足度を上げるうえでも妥当なように思う。